さぁ、地図とコンパス [旅行]

小雨の中、いよいよ出発です。

奥社への道に入り、地図のポイントをたどります。

コンパス(方位磁石)を構えて地図を見ると、
好きではない地図が、今までと違う目で見ることが出来ました。

「縮尺は15000分の1ですから1㎝は何メートルでしょう?」
から始まって、コンパスの北を地図と合わせて歩きます。

第一のポイントは「女人堂跡」でした。
女人堂跡.jpg
昔、戸隠は霊場として女人禁制でした。
女性は不浄と思われていた時代です。

ふぅん、男性はさぞかし清潔だったのでしょうねぇ"(-""-)"

それで女性は、この女人堂から上を仰ぎ礼拝して帰ったそうです。


ところが、一人の比丘尼(尼さん)が戸隠にやってきて、
女人禁制にも関わらず、「女人堂」を超えてさらに奥に入ろうとしました。

でも、少し進んだところで、急に倒れ石に変わってしまったのです。

それがこの2つ目のポイント「比丘尼石」
比丘尼石.jpg
左側の大きな岩です。
女性が変身したにしては、ずいぶん大きな石ですね。


3つ目のポイントは「公明院」
こんな塔や古い像を見て、
公明院 (2).jpg
公明院 (3).jpg
このお堂を見ると、ちょいと違和感を禁じえません。
公明院 (1).jpg
ピカピカの屋根・・・チタンだそうです。
萱や檜皮ではなく、チタン葺きの屋根?
うーん、いくらかかったのでしょう(あー庶民(笑))


4つめのポイントは「孝子稚児の塔」
孝子稚児の塔 (2).jpg
この伝説がひどい('_')

ある夫婦が養子をもらって、平和に暮らしていました。
子どももそこそこ大きくなったところに、奥さんのところに手紙が来ました。

夫は、男からの手紙じゃないかと勘ぐってしまいますが、自分は字が読めません。
それで、奥さんの前で養子に「これを読んでくれ」と頼みます。

奥さんは真っ青になったそうですから、手紙の内容は察しが付きます。
でも子どもは賢かった・・・内容を巧みに変えて夫の疑いを晴らしたのです。

子どもはそんな暮らしで気を使いすぎたのでしょう。
早くに亡くなってしまいます。

村人たちはそれをたたえて、のちにこの塔を建て供養したということです。
孝子というのは、女の人の名前ではなく「孝行な子」という意味です。


さて、そんなこんなで随神門に到着しました。
随神門 (1).jpg
随神門 (2).jpg
ここからいよいよ、奥社への道です。


ところがっ!
奥社までは、山道をさらに登らなければなりません。
片道1時間もかかります。

私たちは、他の「大人の休日倶楽部」の人たちと同じツアーですので、
あまり時間は取れません。

それと、雨で地盤が緩み、道はかなり険しいです。

「今回は断念しますが、いつかみんなで奥社まで行きましょうね!」
と誓いあって、随神門からちょっと入り、杉並木を拝んでUターンしました。
随神門 (3).jpg


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