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百人一首最中 [百人一首]

フサヲさんから小さな郵便物が届きました。

「なんだろう?」と開けてみると、これでした!
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このところ、とんとご無沙汰の百人一首ですが、
百人一首と聞けば(見れば)飛びつく私です。

中身は、最中と百人一首の札が一枚。
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この札、私好きなのです。
→ 昔の記事はこちら

こんな気の利いた最中があるのですね。

それを見つけて、送ってくださったのです。
フサヲさん、ありがとうございました。

あー百人一首、したいなぁ!
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夜更かし仲間(やすらはで・・・) [百人一首]

非常に久しぶりに百人一首です。
私みたいな、夜更かしの人の歌ですよ(笑)


やすらはで寝なましものをさ夜ふけて傾(かたぶ)くまでの月を見しかな
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もしかしたらと思って起きていたのですが、ためらわずに寝てしまったらよかった。
貴方を待っているうちに、とうとう西に傾くお月様を見てしまいました。
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しらじらと明けてきた空に、傾いた月を見てしまったというのですから、
私よりも宵っ張りです(笑)
でも、私とは起きていた意味が違います。

昔の上流の人は、午前中寝ていて昼過ぎから宮廷に出勤し、
夜通し起きて、愛だの恋だのに勤しんだらしいです。

そして、女性は家に居て男性が訪問するのを待つ、
完全なる通い婚(通い恋愛?)でした。

多分、彼女は恋愛中で相手の男性が来ることを期待していたのでしょう。
でも、彼氏は他の女性のところで一夜を過ごしたらしい。
あぁ、かくして西に傾く月を見てしまった・・・かなり恨みが籠もった歌です。


作者は赤染衛門(あかぞめえもん。958?~1041?)
和泉式部や紫式部と並ぶ才媛と言われ、一条天皇のお后に仕えた女流歌人です。
学者の大江匡衡(おおえのまさひら)と結婚し、2人の子供を持ちました。
おしどり夫婦で有名で、「紫式部日記」に、
「あまりに仲良しで『匡衡衛門』とあだ名がつけられた」と書いてあります。

そんなに仲良しだったのに、じゃ何故この歌を詠む羽目に陥ったのか?
・・・と、思うでしょう?

実はこの歌は、妹のために詠んでやったのです。

彼女の妹がある日、藤原道隆という男性に肩すかしを食わされたのですが、
この藤原さん、かなりのモテ男だったようで、妹はやきもきしている。
そこでこの歌を贈れば、彼の心をつなぎ止める助けになるかと思ったのです。

でも結局、妹は彼と結婚することは出来なかったらしいです。。。
そんな浮気男と、結婚しなくて良かったですよね!(笑)

お正月らしいこと [百人一首]

今日は、例年通り「調(つきのみや)神社」へ初詣に出かけ、
おせちを食べ、しゃぶしゃぶを食べ、ミカンを食べ、

元日の夜には、一番お正月らしく私らしいこと・・・、
子どもたちと百人一首をしました。

読むのは大変だし、取る方が面白いので、
CDに読手(どくしゅ)をやらせて、乱取りです。

向かい合って、お互い25枚ずつ並べるのが、本当の対戦形式ですが、
お正月のお遊びとしては、楽しいこと優先です。

こんな感じに、あっちこっち向いた札がぜーんぶ、
つまり百枚、畳の上に散らかっています。

それを取るから「乱取り」
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思わぬ場所に好きな札があったり、
目の前にある札を、一番遠くの人に取られたり・・・、
いろんなことがあって、わいわい楽しめる遊びです♪


かくして、お正月第Ⅰ日目の夜が更けていきました。
初詣の記事は、そのうちに(笑)

ご無沙汰ばかり [百人一首]

百人一首を中心にいこうと思っていたこのブログ、
そのためにこんなタイトルをつけたのですが、最近ご無沙汰です。

何しろ、遊びとして、時には競技として、カルタを楽しんできただけで、
正確な意味など、言えるはずもありませんでした。

それを、資料を繙き(ひもとき)ネットを行脚し、
ある程度格好がつくまで調べてから、解説のまねごとをしていたのです。
今は、残念ながら時間が無くて、それが出来ません。

それで、ご無沙汰してしまっているのです。

そう言えば、歩き回る時間も無くて、散策の記事もご無沙汰です。
百人一首と、浦和周辺ネタだけ来て下さるほやへさんも、
最近ご無沙汰なワケですね。。。

私自身も寂しいのですが、記事も寂しい。
TwitterやLINEみたいなつぶやき記事が多くなり、写真も無く、
つまらなくなってきましたね(T-T)


度々お出かけにおつきあいいただいていた、まぁぼうさんもまどみさんも、
なかなかお目にかかることが出来なくなり、これもご無沙汰です。

以前は足繁く伺っていた、いろんな方々のブログにも訪問出来ません。
ご無沙汰しております。

各方面の方々、お許し下さい。
もう少しして仕事から抜けられたら、お邪魔出来る・・・筈です σ(^◇^;)

百人一首 101首目の歌? [百人一首]

百人一首の試合の時、必ず読まれる歌があります。
この和歌は、競技には使われませんが、
競技が始まったとき、最初に厳粛に読み上げられます。

「難波津に 咲くやこの花冬籠り 今を春べと 咲くや木の花」
当然、読み札も取り札も無いのですが、
この歌を聴くと、ビシッと気持ちが引き締まり「さぁ、始まるぞ!」と思います。

意味は、「難波津に、この花が咲きますよ。
冬の間、籠もって寒さに耐えていたのですが、
『春になったよ』と咲きますよ、この花が♪」
という意味です。

この歌の下の句を二回読んで、おもむろに100首のうちの最初の歌を読みます。
もちろん、100枚の読み札はシャッフルして箱に入れられ、
読手(どくしゅ)はそれを1枚ずつ取って、読んでいきます。

競技も良いですが、この読み手にも憧れます。
朗々と、良い声でなめらかに、いつも同じ調子で読まなければならなく、
簡単そうですがたいへんです。
そのため公式競技では、専任読手と言われる公認読手が読みます。

公式戦に出るような人だと、この読手が札を手に取り、
読み始めるために息を吸い込むと、息の音で最初の1文字目が分かると言われています。
すごいですね~!

百人一首と出会った不幸せ [百人一首]

小学生の時に出会って、ハマってしまった百人一首ですが、
その後、どうしても自分には極められないと判明しました。

大好きではあるのですが、どうもこれは、スポーツの苦手な私には無理なのです。

元々、運動神経は皆無で、ありとあらゆるスポーツは避けて通ってきました。
体育の授業は最小限参加し、体育会系の部活など思いもよらず、
汗をかくのも体を動かすのも大嫌いだった私です。

でも、百人一首はスポーツです。
反射神経、動体視力、瞬発力・・・(ため息)
もちろん頭も使いますが、その記憶力の先で、
体が勝手に動くようでないと、札は取れません。


家族や中学校のクラブでやっていた頃は、
普通のカルタと同じに、「はーい」ペタンと札を押さえて取っていました。

テレビでご覧になったことがあるでしょうが、
競技カルタのようにスパーンと札を飛ばすようになったのは、
実は、結婚して公民館のクラブで本格的な競技カルタを教わってからです。

取り方にもいろいろバリエーションがあり、
自分からの距離、相手や自分の得意な札の位置や配列で違います。
読み札の最初の数文字を聞き取る、1秒にも満たない間に、
瞬時でそれを判断して手を出すなど、考えていては出来ません。

そういうワケで私は、覚えて取るだけのカルタから脱却出来なかったのです(苦笑)

それは、少しぐらいなら飛ばすことも出来ますが、
競技カルタの選手レベルには、遠く及びません。

札を覚えて、取り方も覚えて、さらにあんな風に取りたいと思っても、
私にはどうしても出来なかったのです。
その悲しいこと。。。


やっぱり、家族でキャーキャー言いながら遊ぶ坊主めくりぐらいが、
私にはお似合いなのかも知れません(笑)

百人一首と出会った幸せ [百人一首]

お正月はカルタ・・・という美しい日本の習慣は、
最近あまり見られないように思います。

いろはがるたでも、トランプでも良いのですが、
家族で何かを囲んで盛り上がるというのが、無いのでしょうか?

大人も子どもも、それぞれの用もあって、
家族が一堂に会することも、だんだん少なくなってきます。
でも、さすがにお正月ぐらいは、みんな休みで家に居て、
そこで登場するのがそういうゲームでした。

大人から子どもまで出来る、単純で、いや単純なだけに面白いゲーム。
百人一首というと、お堅いイメージでしょうが、
坊主めくりはやったことがある方も多いでしょう?


私にとっての百人一首も、そんなきっかけでハマったのです。
小学校6年生になった私に、親が「ちょっと大人のカルタだよ」と取り出したのがそれ!
その年頃の人間にとって「大人の」という言葉自体が魅力的でしたから(笑)、
ちょっと首を突っ込んでみる気になりました。

すると、優雅な歌の調子と、読み札の華麗な絵、
読まれた頭の文字では札をとらない新鮮さで、私は夢中になりました。

面白くて面白くて、一人で札をめくったり、親に何度も読んで貰ったりして、
今は使わない文字や読み方も面白かったし、楽しくてしょうがなかったです。


ちょうど次の春に、私は中学校に入学して、
必修科目のクラブ活動をしなければいけなくなりました。

その必修クラブの中に、「百人一首クラブ」があったのです。
百人一首を必修クラブで扱う中学校は珍しく、
ちょうどそれが我が校にあったというのも奇跡に近いです。

実はその中学に百人一首好きの先生がいらっしゃり、
その先生のご尽力で、出来たばかりのクラブだったもご縁だったのですね。

さぁ、週一回の必修クラブは、いろんな用でつぶれることが多かったのですが、
私たちは、喜び勇んで百人一首を勉強しはじめました。


・・・続く。
たいしたことは続かないのですが、眠いのでもう寝ます(笑)

真夏とは言えないけれど(夏の夜は・・・) [百人一首]

梅雨が明けて毎日暑いですが、まだ本格的な夏ではない・・・はずです。
春が終わって夏が来た、そんな当たり前(笑)の歌です。


春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山
はるすぎて (3).JPG

いつの間にか、春が過ぎて夏がやってきたのですね。
夏になると真っ白な神の衣を干すと言う、あの天の香具山に、
白いモノが見えますよ。
はるすぎて (2).JPG

作者は持統天皇(じとうてんのう。645~702年)女性の天皇です。
天智天皇の第2皇女で、夫、天武天皇の死後、
草壁皇子が28歳で死んでしまったため、持統天皇として即位しました。


教科書で、似たような歌「春過ぎて夏来るらし白妙の衣干したり天香具山」
を習いましたが、あれは万葉集に載っている和歌で、
百人一首に入れる時に、少し変えたのです。
それというのも、万葉集に入れた時はあった、神祭りの衣を干す風習が、
百人一首の時にはもう無かったらしく、
「衣ほすてふ」の部分は「ころもほすちょう」と読みますが、
「衣を干していたんだってなぁ」というような意味なんです。
万葉集では「衣を干してある」だったのが、「衣を干したという」に変わったのですね。


これが天香具山(あまのかぐやま)です。
天香具山.jpg

単純な表現なのに、夏の青空に白い衣が翻っている絵が見える気になってくる、
非常にさわやかな歌ですね♪






行きずりの恋(なにわえの・・・) [百人一首]

熱い恋の歌です。

難波江の芦のかりねのひとよゆゑみをつくしてや恋ひわたるべき
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ここから先は、良い子は読まないでね!(笑)

難波の入り江にある芦の刈り根の一節のように短い一夜を、
あなたと過ごしたばかりに、これから先私は、澪標(みおつくし)のように、
身を尽くして、あなたのことをずっと恋い焦がれなければならないのでしょうか?
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作者は皇嘉門院別当(こうかもんいんべっとう・生没年不詳)
12世紀、850年前位の人というだけで、よく分かっていませんが、宮廷女官でした。
崇徳天皇の皇后、皇嘉門院藤原聖子(こうかもんいんふじわらのせいし)に仕えました。
別当とは、家政を司る役職の名前です。


「刈り根」と「仮寝」
「一節(ひとよ)」と「一夜(ひとよ)」
「澪標(みおつくし)」と「身を尽くし」
と、二重の意味を持たせた言葉が多くて、非常に技巧的かつ色っぽい歌です。

つまりは、旅先で男性と結ばれてしまったのです。
そんな一晩だけの出来事なのに、忘れることが出来ないでいます。
あーもぉ、この先ずっと、あのお方のことを思い続けていくのでしょうか?
と、自分に問うています。

辞書によると「澪標」とは・・・、
浅い湖や遠浅の海岸の水底に水の流れによってできる溝が「澪」で、
河川の流れ込む所にできやすく、小型船が航行できる水路となる。
そこに杭を点々と立てて、船が往来するときの目印にするモノのこと。

その、点々と続く澪標のように、先々までずーっと彼の記憶に縛られていく?
ほほぉ、ずいぶんと惚れ込んだものです(笑)


ところが、この歌は実体験ではなく創作なのです。
その頃、難波江には遊女がたくさんいて、彼女たちの哀れな恋を詠んだのですって!
男女問わず歌合わせ等で、想像だけで歌を詠むことはいくらでもありましたが、
女性の身で、遊女を題材に詠むというのは、
巧い歌だけに、なんだか許せない気持ちになるのは、私が女性だからでしょうか?

遊女をさげすんでいるのではないのですが、彼女たちを哀れむ気持ちは感じられます。
遊女の気持ちの何が、高級女官に分かっているのか?
何というか・・・巧い歌を詠みながら可哀想がっているような、奢りが見えてしまいます。

とは言え、秀作には間違いありません。。。

泣き明かす歌(わがそでは・・・) [百人一首]

今日の記事が、700記事目です。
600はうっかりスルーしてしまったのですが(笑)、
節目はやはり百人一首の記事にします。

鎌倉の記事を楽しみにして下さった方(居ないか(爆))、少々お待ち下さい。


さて、大人になってから泣くことは減りましたが、感動して涙するのは増えました。
年のせいか涙腺が緩くなって、ちょっとしたことでも涙が出ます。
映画を観ても、他の人が何ともないのに、私だけドーッと感動したりします(笑)

感動の涙とも違いますが、甘く切ない恋の涙も流すことが無くなった今、
ちょっとこれも、良い涙のように思えます。


わが袖は潮干(しほひ)に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし
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私の袖は、(水位が下がる)引き潮の時さえ海中にあって見えない沖の石のように、
あなたは知らないでしょうが、あふれ続ける涙で乾くことがありません。
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「人知れずこそ」は、「誰もしらないでしょうが」か「あなたは知らないでしょうが」の、
どちらにも解釈出来るようですが、恋の相手に当てられたと考える方が主流です。

作者は二条院讃岐(にじょういんのさぬき1141~1217年)
平安末期から鎌倉初期の女流歌人です。
二条院に仕え、その崩御後、陸奥守などを務めた藤原重頼と結婚しました。
その後、後鳥羽院の中宮、宜秋門院任子(ぎしゅうもんいんにんし)にも仕えましたが、
晩年は出家しました。

実はこの歌、「石に寄せて」というお題を出されて謳ったものです。
机上で捻りだした割には、ものすごく技巧的で、驚くやら呆れるやら・・・。
そのため、この歌を詠んだ後は「沖の石の讃岐」と呼ばれました。
でも、どんな理由にせよ「石」と呼ばれるのはいかがなものでしょう?
「ああ、あなたが『沖の石の讃岐』さんですね♪」なんて言われるのですよ(笑)


悲しい涙でも嬉し涙でも、どんな涙であっても、
泣くことは心を浄化してくれるそうですが、出来たら、嬉し涙か恋の涙が良いです。

実は、岩手の叔母が亡くなりました。
明日、明後日と北上市にお別れに行って来ます。
80になっていましたが、明るくて優しくて、可愛らしい人でした。
そんな人ですから、天国に召されたと思います。
ゆっくり眠ってください!
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