ふるいやつだとおおもいでしょうがふるいやつほどあたらしいものをほしがるもんでござんす [博物館]

自分でも最近の忘れっぽさには驚いています。
年のせいかなぁ、あんまり寝ないからかなぁ・・・記憶力が衰えています。

HOOTCOOLさんの記事を見て、映画「ちはやふる-上の句-」の記事を、
書くのを忘れていたことを思い出したり、
江戸東京博物館に行ったときの記事を一つ忘れていたり・・・(溜息)

今、頑張ってカーブスに通っていますが、正しくは2周で終わりのところ、
10周も20周もしていたりするのではないかと、自分で不安になります。
コーチに「私がボケてずーっと回ってたら教えてくださいね」と言ってあります。
ただ、そんなに筋トレしたら、いくらゆるーい運動でも疲れてゼイゼイしちゃうでしょうけどね(笑)


そんな前ふりをしておいて、江戸博の忘れんぼ記事を♪

何しろ、賑やかで華やかな館内にではなく、それは外にありました。
「汐留遺跡にみる 江戸・東京」というタイトルでした。

「鋳物場と溶鉱炉」
日本で最初に作られた西洋式の溶鉱炉だそうです。
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この部分にあったモノ
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煉瓦造りで、実際のモノだと思うとなんというか迫力があります。
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こちらは水道管
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館内の常設展にもありますが、江戸には既に上水道がありました。
井戸から、木の樋で水をくみ上げ、各所に引き込んでいたのです。

汐留地域には、玉川上水が引き込まれていました。
(関係ありませんが、太宰治が情死したのが玉川上水ですね)
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明治まで玉川上水は利用されていましたが、木樋(もくひ)は腐りやすいので、
ベルギー製の鉄管が接続されました。

こちらは、船着場の一部(仙台藩)
DSCF8518.jpg
浅瀬を埋め立てて造られた藩邸に石垣の塀をめぐらせ、
船が直接乗り入れられる船着き場を作っていました。

これは都電(D-11)の台車 前から見たところ
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こちらは横顔
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関東大震災後に登場した4000型電車に使われた、低床式の台車だそうです。
この上に、当時最新型の3ドア式客車が乗っていたのです。


近代のことでも、こうしてみるともう遠い昔のようです。
明治からもう100年以上経っていますから、当たり前ですけどね(笑)

自慢じゃありませんが、私は水道管が鉄管だった時のことを知っています。
赤い錆の水が出る蛇口があったりしました。
それで、蛇口には布袋が装着されていて、今思えば簡易浄水器みたいなものでしたね。
今の会社は水道関係なので、特にこれは興味深く拝見しました。

江戸東京博物館、深いです♪
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mutumin

私も蛇口には布袋が装着されていたの知ってます!
自然に鉄も補給して、体に良かったかも・・・
by mutumin (2016-05-29 04:17) 

HOTCOOL

下の句は観たの?
by HOTCOOL (2016-05-29 04:50) 

まほ

☆ mutuminさん
昔はそうでしたよね~!
その布袋が、赤さびで茶色くなってました(笑)
鉄管や鉄鍋、鉄瓶で、自然に鉄分を摂っていたのでしょうね。

☆ HOOTCOOLさん
あっっっ!
今調べたら、もうすぐ上映が終わってしまいます~!
by まほ (2016-05-30 01:00) 

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