ちいさきもの誕生 [子育て]

若い友人のお腹の中で頑張っていた双子ちゃん、生まれました~♪
二人とも2500gにちょっと足りない程度の重さがあり、
しっかりした赤ん坊だということです。

伝聞表現なのは、まだ会いに行けていないからです。
帝王切開だったので、ママ本人の血圧が安定しなくて、まだ面会出来ないのです。。。

あー、早く会いたいなぁ。
ママにも、双子ちゃんにも!


これも、ちいさきもの。
まだつぼみなのですが、非常に小さいアジサイでした。
鉢植えになっているぐらいで、高さにして20cm。
・名前はそのまんま「コアジサイ」です(笑)
コアジサイ.JPG


うちの姪っ子も、生後2ヶ月になりました。

頑張れ、お兄ちゃん [子育て]

いわきから弟一家がやってきました♪
お兄ちゃんになった甥っ子と、まだ生後1ヶ月の姪っ子もです。

うちに来ていた母と、夫の弟も、私の妹も集合し、
親知らずさんのお嬢さんもちょうど来ていましたので、引っ張り込んで、
えーっと(指を折っている)総勢12人で夕食でした♪

いつもでは、多分疲れるでしょうが、
たまに人がたくさん居て、わいわいやっているのも楽しいモノですね。
お酒も飲みましたが、楽しい酒飲みですからだいじょうぶです(何が?(笑))
小さな小さな姪っ子は、
皆の注目を集めていることにも気付かず、すやすや眠っていました。
私も、久しぶりに乳飲み子を抱っこしたので、気分は「おばあちゃん」でした(笑)

幼いながら、兄としての重責に耐え、ちっちゃな妹の面倒を看ようとする甥っ子は、
いじらしくて可愛いし、実際たくましくなったと思いました。

好むと好まざるとに関わらず、兄や姉になるのは長子の宿命です。
もちろん、兄や姉が居るところに産まれてくるのも、2番目以降の宿命です。
いろいろなことを経験しながら成長するうちに、
何故か「上の子気質」「下の子気質」というのが身についてくるのが面白いですね。

これからも、兄としての試練が待っているのだと思いますから、
甥っ子にエールを送っておきます「頑張れ、お兄ちゃん!」

踏ん張れ赤ちゃん [子育て]

昨日出かけたのは、若い友人が切迫早産で入院したのでお見舞いでした。
彼女のお腹の中には、女の子が二人・・・そう、双子ちゃんです♪

二人ともあと2週間、お腹の中に居てくれたら、
お母さんと退院して普通の赤ちゃんの生活(?)が出来るのですが、
その前に生まれてしまうと小さいし、何か問題が出るといけなくて、
乳児ICUのお世話になることになるそうです。
そうなると、今入院中の病院では対処できないので転院するばかりか、
お母さんとしばらく離れ離れになってしまうのです。
ですから、ちゃんと育つまで、ママは点滴して安静してお腹に留まってもらうのです。

彼女のベビーズが、無事にお腹に留まって、しっかり育ってから生まれて来ますように!


さて、昨日彼女の入院先に行くことに決め、北千住で東武野田線に乗り換えた私。
前夜のうちに、彼女がメールに書いてよこした若村病院(仮名)は調べてありました。
友人は東向島駅からの道順を書いてくれていたのですが、調べたら曳舟駅の方が近いのです。
彼女がいつも使う駅だから、道順が書きやすかったのかなと思い、
プリントアウトした地図を頼りに、無事若村病院に着いた私は意気揚々と病室へ。
「・・・?」病室の入口に書いてある患者名は、友人の名ではありません。
そうか、病室変わったのねと納得し、ナースステーションに行った私は、
「○○○美さんは、病室変わったのですか?」
「○○○美さんですか?・・・いらっしゃいませんよ」
「居ない?退院したんでしょうか?」「いえ入院して居なかったと思いますよ」
「305号室って言ってましたけど・・・ここ、若村病院ですよね?」「はい、そうですよ」

狐につままれた気分になり、もう1度友人のメールを開けてみた私。
「若林病院(仮名)は、東向島駅から・・・以下道順」
またやってしまったのです。
まほの天然炸裂です。

彼女のメールの「若林病院」を、「若村病院」と勝手に変換してしまい、
ネットで調べたのですから堪りません。。。

それがまた面白い偶然で、両方とも同じ幹線道路沿いにあり、
友人が言っていた「ピンクの壁」も同じ、5階建ても同じ、道路の角にあるのも同じ。。。
私が間違えた若村病院も、「東向島駅」から行けないこともないのです。

慌てて曳舟駅に戻り、一駅電車で移動、東向島駅から彼女のメールの道順の通り、
今度は行き着けました「若林病院」
はぁ、長い道のりでした(笑)

今度は当然、友人は病室にちゃんと居て、
幸い個室でしたので、私のドジさ加減を存分に話し、二人で笑い合うことが出来ました。
お母さんが楽しかったら、お腹のベビーズも楽しかったことでしょう♪
良かった、良かった・・・のかぁ?(爆)
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お客様 [子育て]

今日は、お客様がありました。
息子の家庭教師だった人で、2年ぶりでした。

息子の携帯に久しぶりにメールがあり、6月には名古屋に赴任するので、
その前に1度遊びに行きたいと言ってくれたので、ご招待しました。

息子が高校を中退した話は、前に記事にしましたが、
彼には強い味方がいました。
中学生の時から来て貰っている、家庭教師のその青年でした。


中学校に入った時、周りに倣って塾に行くかと聞きますと、
息子は、大人数で習うなら学校と同じで、自分は質問をするタイプでも無いし、
塾で友だちを作るタイプでも無い、やるならあちらから来てくれる家庭教師だと言いました。

大手の家庭教師斡旋の会社に頼むと、やって来た大学生は、
非常に大人しくて、挨拶もろくに出来ず、
進展具合にかかわらず、時間きっちりに終わらせて帰って行きました。
数回で約束の日に来なくなり、斡旋会社から電話があり、田舎に帰ってしまったとのこと。
次の大学生も、時間きっちりに挨拶出来ずは一緒でした。

私は、成績を上げるとか下げるとかではなく、
内向的な息子に、もっと外の世界を知らしめたかったので、
家庭教師には、息子にいろいろな話をして欲しかったのです。
他にも少々問題有りでしたし、そこは断って別の組織に依頼しました。


さて、約束の日にやってきた青年をみたとたんに、私は「しまった。。。」と思いました。
彼は、眉毛が半分無く、あご髭を生やし、銀のネックレスをジャラジャラぶら下げ、
ドクロが書いてある黒いTシャツを着て、短く切った髪を立てていましたから(笑)

ところが、口を開くと木訥な東北訛りで、その口調で挨拶はきっちりとして、
息子にもフレンドリーに接してくれ、馬鹿話(!)をして笑わせてくれました。
聞いてみると、某大学の数学科を卒業したのに、
もう一度学びたいと埼玉大学に入り直したところでした。

福島の田舎で、夫婦で学習塾をやっている両親にスパルタで育てられ、
自分はどこに行ってもやっていける自信があると言い切り、本当にそんな雰囲気でした。

以来、息子が大学に入学するまで、週に一回ずつ来て貰いました。
毎回、勉強が終わると、私と娘も加わって1時間も話をしました。
ガードマン、カラオケ屋の呼び込み、コンビニ店員等、バラエティに飛んだアルバイトの話。
麻雀で勝つにも頭の回転が必要だとか、警官に職質されたとかの話。
大学で授業をサボっても、友人が多いので誰かが出席カードに名前を書いて出してくれ、
時には、自分が何人も出席していることになっていた話。
面白おかしく話すので、皆で腹を抱えて笑いました。。。
息子も娘も、それに応じていろいろと話をしているのも収穫でした。


途中、高校が嫌になった息子が不登校になったとき、
最初は言えずに隠していましたが、いよいよ中退すると決めた日に電話で告げました。
電話の向こうで「薄々気付いていました。それじゃ今度は高認に向けて方針を変えます」
と言うのを聞いて、有難くて泣けました。
せっかく名門校に入ったのを喜んでくれていたのに、
相談もせずに中退を決めてしまったのですから、
もう、自分は必要ないと言い出すのではと、親子で勝手に危惧していたのです。

それからまた、高認受験、大学受験と面倒を看てくれ、息子は無事に大学に合格しました。
それで、お世話になった青年とは、別れを告げました。
実に6年間でした・・・。


さて、久しぶりにやってきた彼は、一升瓶を下げていました。
「もう○○(息子の名前)も二十歳過ぎたんだもんな。一緒に飲めるな」と。
「これ、思いがけず『越乃寒梅』が買えたから♪」と嬉しそうでした。

みなで遅くまで談笑して、相変わらずの明るさと逞しさに感服しました。
細菌学を学び、マスターから博士課程も終えて卒業したので、
名古屋の研究所に就職が決まったそうです。
大学の並みいる先生方とコネクションを作り、先輩と後輩、学生と教授を取り持ち、
同じ学部内で自分を知らない人間は居ないと豪語しますが、
それがオーバーに聞こえないようなキャラクターです(笑)
就職を決めた先とも、挨拶に行った時にもう友人を作り、準備万端だそうです。
学会で発表した論文も持ってきて見せてくれました。

日付が変わる頃まで楽しく話して、3年後にはまた関東に帰ってくるから、
その時にはまた顔を出すと約束して帰って行きました。
息子もほろ酔いで、とても嬉しそうでした。

青年を見送って家に入り、テーブルの上の一升瓶をふと見ると、
ラベルには「越乃寒梅寒中梅」と書いてありました(爆)

風の入学式 [子育て]

行って来ました、娘の大学の入学式。

娘の通うキャンパスは池袋なのですが、本校は群馬県です。
その本校の体育館で、大学の名古屋、池袋キャンパスと、
短期大学部や大学院の入学式が合同で行われました。

キャンパス見学に行ったことがありますので、
「広々としてきれいな校舎だったよね。カフェテリアも大きかったし♪」と、
るんるんで出かけました。

ところが、駅に降りたときから上州名物空っ風が吹きまくり、
そりゃもぉ、寒いの寒くないのって・・・寒かったです。

満開の桜の下での入学式を期待していたのですが、
フェンス沿いに桜の樹はあるものの、蕾はまだ堅くて花は咲いていません。

入学式の看板の前での撮影も無しです。
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ものすごい風で髪が八岐大蛇(やまたのおろち)のように乱れたため、
娘の断固拒否に遭いました(笑)

スーツを着ると、とたんに大人っぽくなった娘の写真は、家に帰ってから撮りました。

家を出るところからだと2時間もかかってしまい、往復4時間!
池袋で良かったです。

とにもかくにも入学式は滞りなく終了し、娘も晴れて大学生です♪
応援して下さった皆様、ありがとうございました。

兄、妹 [子育て]

先日娘のことを書いたついでに、今日は息子のことを・・・。

2つ違いの妹が中学1年で不登校をしている時、
「おまえ、馬鹿なことをしてるなぁ」と言った息子。

ところがその後、彼がそれをやらかすとは夢にも思いませんでした。
妹よりは、現実的で合理的な考え方をする奴だからです。

中学を終え、県立高校に入学した息子は、やがて大きな壁にぶち当たります。
息子の入った高校は「文武両道」と同じ意味の「尚文昌武(しょうぶんしょうぶ)」を謳い、
学問も運動も万能であれと、無茶な(笑)教育をする高校でした。

入ってみて、その厳しさに接した息子は、もうつらくてしょうがない。
何よりも運動が苦手な子ですから・・・。

運動が苦手でも、お勉強が出来たら胸を張って居られますが、それも無い。
お勉強がからっきしだとしても、運動が出来たらそれも有りなのですが、
どっちつかずだと、生きづらい世界でした。
体育の行事が多く、個人としてもクラスとしても、一番になるとバッジが貰えて、
そのバッジを胸にいくつも付けている子がいくらでも居ます。
新入生歓迎マラソン10kmで先制パンチを食らった後、体育祭はもちろん、
ラグビー大会サッカー大会競歩大会水泳大会、体育関係の行事が目白押しです。
イヤなら行事を休めば良いかと言うとそうでもなく、その行事の前は練習で明け暮れます。

やがて息子は、体育の授業のある日は、ベッドから出てこなくなりました。
耳元で怒鳴っても必死で揺り起こしても起きず、遅刻するまで眠って欠席するのです。

週に何回体育があったか忘れましたが、
そんなことをしているうちに、単位が足りない教科が出てきました。
娘とはまったく違う理由ですが、結局不登校に変わりは無く、
実は娘より2年前に、息子は高校を中退しました。

考えてみれば、この経験があったので、
娘の時は「そんなにイヤなら見切りを付けよう」と、母子共に考えられたのだと思います。
精神的に、何か不安なモノを抱えていた娘とは違い、
動機も単純明快、不登校という事実だけが同じでした。
彼もまた「高認」に合格し、今は大学生です。

この二人の経験を見て、「普通」の難しさも、便利さも実感した母でした。
そして、子どもは親がいくら言っても、動かない時は動かないということも(笑)


その当時は私もずいぶん悩みました。
中学1年の娘、高校生の息子、そして再び高校生の娘と何度も繰り返されると、
育て方に、何かいけないところがあるのか?と思ってしまいます。
夫も、教育関係者の友人に話を聞いてくれたりしました。
毎回、親の経験を話したり子どもの話を聞いたりと、親子でいろいろと話し合いました。

人に話を聞いても、それぞれですから、ピッタリ合うサンプルは有りません。
ただ、話すことでカタルシスになるのと同時に、
他の例を聞けて、こんな悩みを持っている人がたくさん居ることも分かりました。
親知らずさんと親しくさせていただいて、愚痴を聞いて貰えたのも良かったです。

たいへんではありましたが、きっといつか笑い話になると信じてきました。
「止まない雨は無い」「明けない夜は無い」と言えるのは、そういう経験のおかげです。
実際に今は「あの時は、どうなることかと思ったよ~!」と話せますよ(笑)
脳天気な私は、これからも元気に生きていきます♪


裂けてねじれた老木にも、こんな綺麗なお花が咲いています。
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卒業(塾) [子育て]

娘は大学に受かった後も塾通いしていて、今日が最後の日でした。
高校を卒業していない娘にとっては、今夜で卒業みたいなモノです。

塾の室長にも、先生たちにも「本当に、ご迷惑やらご心配やらおかけしました」と、
謝罪したりお礼を言ったり・・・親としては、一区切りついた気持ちでした。


思えば中学1年生の1学期、急に学校に行かなくなった娘。
「行かなくちゃ」「明日は行く」と言いながら、中学1年のほとんどを欠席しました。
その頃、娘の友人がこの塾に行き始め、とても良い塾だと聞き、
ダメ元で「行ってみる?」と聞くと、その気になってくれたのです。

さっそく面接に行き、母子で「1年生の1年分、お勉強していないのです」と打ち明けると、
事も無げに「1年分と考えると焦りますが、2年生の1学期に必要な部分をやっておき、
後は追々追いついていくというのはいかがですか?」と言ってくださり、
その言葉で、どれだけ救われたか分かりません。

中学1年生と2年生の間の春休みから通い始めて、
以来、休んだり行ったりでしたが、丸々5年になりました。

塾に行って自信がついたのか、中学校の2,3年はほとんど皆勤で通い、
無事に県立高校に合格しました。
水泳部に入り、学校も楽しいと、毎日元気に通っていましたので、
中学校入学当初の出来事が心に引っかかっていた私は、
「もうだいじょうぶ♪」と思い込んでいました。

それが・・・高校1年生の1学期の終わり頃、また行けなくなってしまったのです。
それからまた、苦しい毎日が始まりました。
中学の時にもそうでしたが、決してだらだら家に居るワケではなく、
制服を着て「学校に行く」と言いながら、玄関から足を踏み出せない毎日でした。
時には、タクシーで学校まで連れて行き、中まで入ることもありましたが、
教室で授業を受けることが、何故かどうしても出来ませんでした。

中学校と違い、高校は単位制ですから、各教科の授業単位を重ねないと進級出来ません。
高校の先生方も、一所懸命にサポートして下さろうとしましたが、
如何せん、本人がどうしても通うことが出来ませんでしたので、留年となりました。

2度目の1年生は、頑張って行くと言った娘でしたが、
やはり、授業を受けることが出来ませんでした。
とうとう、2年目の1学期が終わった時点で、退学しました。

私は、世の中の人々の大多数がやっていることは、一番楽で確実なことなのだと思っています。
つまり、普通に学校に通って、普通に卒業すること。。。
それを、娘は出来ませんでした。

「高等学校卒業程度認定試験」略して「高認」は、以前の「大検」ですが、
それを受けて合格した娘は、大学に行きたいと言いました。
自分が苦しかった時期に通っていた精神科医院のカウンセラー先生に、
非常に感謝しておりましたので、そういう道に進みたいらしいです。

高校をやめて「高認」対策、それに受かったら大学受験、
ずっと頼りにしたのは塾でした。
高校に行っていれば、進路相談とか友人との会話で進路を探っていくのですが、
娘にはそれが有りませんでしたので、塾だけが情報源だったのです。

何か、気持ちに引っかかることが出来ると、塾もぱったり行かなくなりましたが、
また何かのきっかけで行くようになったりと、波は有りましたが、
塾を丸々休むということは無かったのです。
娘にとっても、塾は最後の砦だったのかも知れません。

そして、ここまで来ました。
私たちにとっての塾は、普通の生徒のそれとは意味合いがまったく違いました。
ですから、塾には非常に大きな、言葉につくせない感謝の念があります。

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今日まで本当にありがとうございました。
娘よ、今度こそ大学で友だちを作り、楽しく講義を受けて、
良い学生生活を送れると良いね♪

子を持って知る親の恩 [子育て]

昨日の親知らずさんの記事を読んで考えました。

親には、特に母にはひどいことを言われて育ってきましたが、
私たちの根本にあるモノはしっかりした常識で、
これだけは身につけてもらって良かったと思っています。

その常識を植え付けたのは何故か?と言うと、
「どこに出しても恥ずかしくない娘(息子)にする」ということでした。
親として「○○さんのお嬢さんは素晴らしい」と言われれば嬉しい。
逆に「なんという娘だ!」と言われたら恥をかくという、
つまりは外聞の善し悪しというのが基本にあったと思います。
だから、自分の親としての資質を問われるから、ちゃんと育てるということで、
特に、私の母親は見栄っ張りで、外面が良かったのでなおさらでそうでした。

まぁ、以前親知らずさんがおっしゃっていた、
動機はどうあれ、覚えれば使えて役に立つ英語のように、→ ♡♡♡
母親の思惑はどうあれ、いちおう常識的に育ったから感謝しているワケです。
(今は、「どこに出しても恥ずかしいおばさん」ですが。。。(爆))

百人一首を教えてくれたのも親ですし、昭和の懐メロを植え付けてくれたのも親です(笑)

子育てをしていて、逆らう子どもに腹が立つこともあります。
そんなとき、母は非常にキツい言葉を浴びせる人でしたが、
今じゃ、その気持ちも分からないではありません。
「こんなに面倒を看ているのに」「こんなにあんたのためを思っているのに」
と思うと、腹が立つのです。
子どもは親の所有物ではない・・・一歩引いてそう考えると気持ちが落ち着きます。
その子の人格形成を担う役割は重いです。
ですから、必死で育てようとすると、腹が立つこともあるのです。
見栄だろうが何だろうが、立派(?)に育てて貰ったのですから文句は言えません。
いえ、言いません。

自分が子育てをしてきて、両親の苦労も分かりましたし(いや、現在進行形ですが)、
感謝の念も湧いてきます。

上の子が成人式を迎えまして、当然、生まれてきてから20年経ったということです。
子どもと一緒に親も成長してきたので、
「産んで良かった。生まれてきてくれて、ありがとう!」
と思うと、両親にもこんな感慨はあっただろうなと、胸が熱くなりました。
親と、子どもと、両方の立場を体験してみて、分かったことです。

父はもう居ませんが、母には、出来ることはしていこうと思っています。

やる気スイッチ [子育て]

人は(特に子ども)は、人に(特に親に)言われると、十中八九やりたくなくなります。
「今、やろうと思ってたのにぃ!」とか、「分かってるよぉ!」とか言い返して、
その割に、そのままやらずに終わるのです。。。

かと言って、何も言わずに放っておくといつまでもそのままですから、
どうしたらいいのか・・・?(苦笑)

どこかの学習塾のCMで「やる気スイッチ」を、その塾の講師が探し出して押します。
というのが有りました。
その「やる気スイッチ」が見つかるなら苦労はしません。
そして、押せるならもっと苦労はしません。

娘に「あんたの『やる気スイッチ』はどこにあるのよ?」と聞くと「分かんないよ」。
そして「たまぁに、勝手に入るんだけどね、私のスイッチ接触悪いらしいよ。
簡単に、また切れちゃうんだよねぇ♪」
っておいっ!(-"-;)

受験生の親はサンドバッグだと、いつか親知らずさんがおっしゃってましたが、
まったく、我慢我慢の連続で、打たれ強くないと務まりません。
口うるさく言っても逆効果なので、言いませんよ私は。
でも、イライラはします・・・胃が痛みます。

良きにつけ悪しきにつけ、この数ヶ月で行き先が決まるワケです。
あと数ヶ月、サンドバッグ頑張ります。


どうも「公開愚痴吐き出し」になってしまいましたね。
申し訳ありません。

今、娘の「やる気スイッチ」入ってるようです。
この数日、図書館に通っています(今さらですが)。
息子が「えー図書館?受験生みたいじゃん」とからかいます。
受験生だから!

娘の、接触が悪いスイッチが、また切れてしまいませんように!(笑)

帰れ! [子育て]

とあるテレビで、視聴者からの投稿に出演者がコメントする番組をやっていました。
ある視聴者が、アルバイト先で何か上司に叱られたというのです。
「そんなことが分からないなら、帰れ!」と言われたので、彼は帰ろうとしました。
すると「お前『帰れ』と言われて帰るのか!もっとよく考えろ」とまた叱られました。
何度かそういうことがあって、彼はそこを辞めたというのです。
「帰れ」と言ったくせに、帰ろうとしたら怒る。
いったい、自分の何が悪いのか分からないと言っていました。

そこで、私は子ども達がまだ小学生だったときの、ある出来事を思い出しました。
放課後、用があって学校に行っていた私は、
正面玄関前での、先生と児童のやりとりを偶然見たのです。
先生は、3人の児童に、穏やかな口調でしたがこう言いました。
「何の断りもなく、こんなに遅れて来るのはやる気が無いということですね。
そんな人たちにやってもらうことはありません。もう帰りなさい」
すると、3人の児童はのそのそと帰って行ったのです。
放課後の委員会は5年生と6年生の仕事ですから、3人とも高学年のはずです。

それが、「帰れ」と言われたら、謝ることもすがることもなく、あっさり帰ったのです。
私だったら、「今後こういうことはしませんので、許して下さい」
せめて「ごめんなさい」と言って、何とか指示を出して貰おうとするでしょう。
今の子どもって、あーなんだ。。。

家に帰って、同じぐらいの年齢だった我が子たちにそれを話すと、
「帰りなさいって言われて帰らないと、言うことを聞かないことになるでしょう?」
と言ったので、二度ビックリ!
そ、そういう考え方!?
許して貰おうと思わないのかと聞くと、
「だって相手は怒っているんだから、言うこと聞いて帰らないともっと怒らない?」

小学生には、まだ大人の思いが通じないんだな・・・とその時は思ったのです。
でも、今日その番組で、大学生のその投稿の内容を見て、
小学生ならともかく、大学生でもそうなんだ!
どこでこんなに、人間、理解力がなくなったんだろう?

「帰れ」という人は、本気で帰らせたいのではなく、
反省して改心し、謝って、その後努力することを求めている筈です。
あれ?
そう思っていたのは私だけでしょうか?

・・・皆さんも帰りますか?


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