すごいエネルギー
ストーカーの記事を読んで、あきれるやら感心するやら。。。
その女性を、高校生の時に会って一目ぼれして以来、
26年間ストーカーし続けた男の事件です。
26年間、家の前をうろついたり、ごみを漁ったり待ち伏せたり、
よくもまぁということを、ほとんど毎日続けていたらしいです。
いやはや、そのエネルギーたるや大したものです。
もちろん、褒めているワケではありませんよ。
何故、その情熱を他の何かに使えなかったかということです。
彼は「彼女の顔を見ると安心する」ということですが、
うろつかれる本人は、どれだけ怖かったことか。
そもそも、ストーカーする側とされる側の意識のギャップには驚かされます。
する方は、相手も喜んでいると思ったり、同意の上、
もしくは、自分は相手と恋愛関係にあると「思い込む」ようです。
それだけでも気持ちが悪いです。
ただ、私はいつも言っていますが、セクハラでもパワハラでもストーカーでも、
される側の意識が違うと成立しません。
帰宅すると、家の前で折からの雨にずぶぬれになった男が居たとしましょう。
「こんな雨の中でずっと私を待っていてくれたのね?」となるか、
「うわっ、きもっ!なんでここにいるの?私の家を調べて来たの!?」となるか。
会社で上司がそばに来て「まほさん、最近ガンバってるね」
と、肩に手を置いたとしましょう。
「ありがとうございます(ちゃんと私を見てくれていたのね)」となるか
「なによぉこのおやじ、脂ぎった手で私の肩に触らないでよ!」となるか?
「レギュラーになりたかったら、何が何でも頑張れ!」と言われて、
「つらい練習を強要された」と思うか、
「全日本まで(力を)引き上げてくれた」と思うか。
もちろん、試合の流れに関係ない危険なタックルは問題外ですけどね。
そこで、まず相手の気持ちを忖度しなければなりませんが、
そういうことが出来ない人間が、
ストーカーになったり〇〇ハラをやらかすのでしょう。
忖度も間違ってはいけませんが、必要なのは想像力です。
相手がどう考えるか、周りがどう受け取るか?
人間はみな違うので、どこまで自分とは違う人間の気持ちを想像できるか、
そういう想像力が必要なのだと思うのです。
明日は、いわきの母のところに行ってきます。
その女性を、高校生の時に会って一目ぼれして以来、
26年間ストーカーし続けた男の事件です。
26年間、家の前をうろついたり、ごみを漁ったり待ち伏せたり、
よくもまぁということを、ほとんど毎日続けていたらしいです。
いやはや、そのエネルギーたるや大したものです。
もちろん、褒めているワケではありませんよ。
何故、その情熱を他の何かに使えなかったかということです。
彼は「彼女の顔を見ると安心する」ということですが、
うろつかれる本人は、どれだけ怖かったことか。
そもそも、ストーカーする側とされる側の意識のギャップには驚かされます。
する方は、相手も喜んでいると思ったり、同意の上、
もしくは、自分は相手と恋愛関係にあると「思い込む」ようです。
それだけでも気持ちが悪いです。
ただ、私はいつも言っていますが、セクハラでもパワハラでもストーカーでも、
される側の意識が違うと成立しません。
帰宅すると、家の前で折からの雨にずぶぬれになった男が居たとしましょう。
「こんな雨の中でずっと私を待っていてくれたのね?」となるか、
「うわっ、きもっ!なんでここにいるの?私の家を調べて来たの!?」となるか。
会社で上司がそばに来て「まほさん、最近ガンバってるね」
と、肩に手を置いたとしましょう。
「ありがとうございます(ちゃんと私を見てくれていたのね)」となるか
「なによぉこのおやじ、脂ぎった手で私の肩に触らないでよ!」となるか?
「レギュラーになりたかったら、何が何でも頑張れ!」と言われて、
「つらい練習を強要された」と思うか、
「全日本まで(力を)引き上げてくれた」と思うか。
もちろん、試合の流れに関係ない危険なタックルは問題外ですけどね。
そこで、まず相手の気持ちを忖度しなければなりませんが、
そういうことが出来ない人間が、
ストーカーになったり〇〇ハラをやらかすのでしょう。
忖度も間違ってはいけませんが、必要なのは想像力です。
相手がどう考えるか、周りがどう受け取るか?
人間はみな違うので、どこまで自分とは違う人間の気持ちを想像できるか、
そういう想像力が必要なのだと思うのです。
明日は、いわきの母のところに行ってきます。